プレイヤーではなく「教育者」になりたい ~私がメーカーエンジニアから塾経営者に転身した理由~ 前編
- Astra塾長 多田

- 10 時間前
- 読了時間: 4分
こんにちは。個別指導学院Astra塾長の多田です。
昨日は、FMぱるるんの「ほっと!HOT!スクウェア」に出演いたしました。
初めてのメディア出演だったのですが、お聞き苦しい点はなかったでしょうか?これを機会にAstraを知って下さる方が1人でも増えてくれれば嬉しいです。
なお、今回の放送は8/18 15時から再放送がありますので、聞き逃してしまった方は是非よろしくお願いいたします。15:12~15:30付近が私の出演場面となります。
さて、時間の関係上、あのインタビューの中では十分に話しきれなかった話題がいくつもあるわけですが、聞いて下さった方の中には「どうして私が日産という大手メーカーから学習塾の先生・経営者に転身したのか?」と疑問を持たれた方が少なからずいるのではないかと感じます。
今回は、その経緯を前後編に渡ってお話ししたいと思います。
1. 日産入社から退職までの経緯
インタビューの中で「昔から車が好きだったから日産に入った」「一方で教育にもかなり興味があって教育実習も検討したが東日本大震災などの影響で断念した」というお話をさせて頂きました。
日産で成し遂げたい思いは、「自分の作った車でお客様を笑顔にしたい」でした。
入社後、日産では念願だった車の開発に携わることができ、特に電気自動車「アリア」については初期段階から最終実験工程まで関わることができて今でも大きな誇りとなっています。
しかし、仕事をしていく中で「エンジニアという職種は自分には向いていないのではないか」とずっと悩んでいて、日産の中でこのまま昇進し活躍し続けている未来が想像できなくなっていました。さらに、開発の現場ではお客様の笑顔を直接感じづらく、経営陣の意向もよく分からずお客様に本当に寄り添いニーズに応える車を届けられているのか疑問を常々感じており、当初の入社目的はこの先叶えられるのかとずっとモヤモヤを抱えていました。かといってせっかく入った大企業で世間体もよく収入もいいのだからそう簡単に辞めるわけにもいかないし、辞めたとて次は何処に行けばいいんだ?と板挟みになって苦しんでいました。
そんな折にふと頭に浮かんだのが「教育」でした。
小学校の時から勉強は嫌いではなかったのですが、中学受験のために小5から通い出した駅前の某大手学習塾での授業が、大きな転機となりました。
「こうやって色んなものが鮮やかに計算できるんだ!」「世界ってこんなに不思議なことにあふれているし、こんなに色んなものがあって広いんだ!」
小学校の授業では到底味わえない知的興奮をたくさん味わいました。授業を受けた次の日には、学校の友達に「昨日塾でこんなこと習ったんだよ!!」と自慢せずにはいられなかったのです。そして自慢に留まらず、分かりやすく友達に噛み砕いて説明して「へぇ~」なんて言って貰っていました。今にして思えば、これが「勉強を教える先生になる」という夢の原点、そして「本質的な理解」「学習の自走化」というAstraの理念の原点になったように思います。中高でも度々勉強を同級生に教えたことがあり、「わかりやすい」って言って貰えることもしばしばありました。
大学2年のとき、ひょんなことから大学1年生の女の子の一日講師をする機会がありました。当時その子は「電磁気学」が全く分からず単位を落とす危機にありました。私自身100%理解できているかと言われると怪しい内容ではありましたが、本当の基礎の部分から、図を使い数式をできるだけ噛み砕いて意味を伝えるようにしつつ、彼女と対話を繰り返しながら指導をしました。たった1日だけの出来事ではありましたが、その後彼女から「無事単位が取れました!」と連絡があって、たまらなく嬉しくなりました。
このとき改めて感じたのです。
「僕は、自分自身の成功によりも、自分のアクションによって相手が笑顔になることに喜びを感じる性格なんだな」と。
そして、これこそが日産への入社動機であったと同時に、日産での仕事が不向きだと感じた理由であり、自分が他人を笑顔にできる最適な手段こそ「教育」なのだと。
そんな中、日産の経営環境が大きく変化したことも一つのきっかけとなり、長年抱えていた「自分はこのままでよいのか」という思いと改めて向き合いました。そして、自分が本当に力を注ぎたい「教育」の世界へ踏み出す決心をしました。
こうして、11年間務めた日産を辞めたのが1年前のことになります。
長くなりましたので、学習塾に転職してからAstraを立ち上げるまでの経緯は後編に回します。
後編はこちら
コメント